ピンチはチャンス!?
私が就活162社目で中途採用された会社の社長になった理由(ワケ)~楽観主義で、しなやか経営術~
正木伸一 氏 三生管財株式会社 株式会社ASQUA 代表取締役
--- <総合画材店>---
S62年入社 デザインフロアのスタッフとして働きはじめる フロアマネージャー→本店店長→3店舗7フロア約30名の統括マネジメント(10年間)
■何でも覚えてやろう
いろんな部署をお手伝い「会社に正木さんが何人もいるようだ!」
■経営方針で社長と衝突
「企業は人」「会社は人を大事にしなさい」度重なる社長との話し合いの末、理解頂く
・社員の定着率を高めたい
社内資格制度(1級画材士、2級画材士、3級画材士)の評価基準を構築 →給料に反映
・みんなで棚卸 小決算 利益がどれくらい出ているか把握 →財務諸表の勉強
・売上アップの方法
1人あたりの購買単価をあげる →社内資格制度で1人1人のノウハウや提案力を高める
客数を増やす →アートに興味ない人に興味持ってもらう。絵の道具を売るのはやめ、絵をかく生活の楽しさを提案しよう!一言で方向性を示すキャッチコピー作成『アートな生活の提案』。販売スタイルを変え、短編小説を作り、そのストーリーに合った舞台づくりを店頭で展開。スタッフのモチベーションも上がり、過去最高の売上を達成!
■多店舗化しない経営方針 退職して独立 錦糸町に画材店オープン
・絵画教室併設で開店より順調に売上アップ
・しかし消費税5%アップで一気に経営苦難となる
■店舗をすべて整理し、絵画教室に特化
同じ位置から、同じものを同じように見てると そこにはヒントがない ちょっと違う角度から見てみると、意外と解決策や打開策が見えてくる 失う事への恐怖心をなくせば、人は平常心でいられる
※水に溺れて亡くなる人は、実は膝下くらいの浅い所で死んでいる 底が分からない恐怖心で溺れてしまう 先が見えない恐怖心 底を知ると 肚は決まる
■絵画教室をしながら、10年間 朝清掃のパート
46歳の時、奥様から就職して欲しいと言われ就職活動を開始
---<三生管財株式会社>---
■不採用通知が毎日届く厳しい就職活動
・H23年9月2 年間の就職活動の末、162社目で「三生管財株式会社」に入社決定
・H24年 部長に昇進
・H28年4月 グループ会社ASQUA設立
・H30年 専務取締役就任
■ASQUA(アスクア)
初めの3期連続赤字を乗り越えて黒字化へ 『粘り強く!しなやかに!』
・硬い木や枝は、一定量以上の力がかかった時、ポキッと折れてしまう 柳のように一瞬ひねっても折れない「しなやかさ」が本当の強さ
・自ら顧みてなおくんば、千万人ともいえども我行かん
■三代続いた創業家よりの事業承継
・前社長時に 1 億円の債務があり、H30 年 11 月に資金ショートする事が明らかに。
・三代目は自己破産を計画 100 名の従業員、300 人のその家族が危機
・会社の債務を連帯保証し、MBO(Management Buy Out)で事業承継を計画し金融機関との交渉開始
<勝負を決する3要素>
天の時:H29「経営者の補償に対するガイドライン」で4,000万まで減額
地の利:メイン金融機関の清掃業務を現場でやってきたのでみんな応援してくれた
人の利:従業員と一体でやってきた、前社長がいなくても影響なし、大丈夫
メイン金融機関が提案翌日に即ジャッジメントしてくれ成功
■連帯保証だけ背負って経営権取れない!?
前社長 自己破産を民事再生に変更 価格値上げ500万に さらに第三者に株を売ろうとしている このままでは連帯保証だけ背負って経営権がとれなくなるかも!? 300万で株式譲渡交渉、計画案作成、スリリングな時期を乗り越え、ようやく経営権を取得し三生管財株式会社代表取締役となる
■三生管財 経営理念
「人とひと、心のつながりを大切に、建物の健全な維持管理を通じて 社会に貢献し、従業員が誇りのもてる企業へと発展・成長し続けます」
■「〇〇なもんで・・・」から、「〇〇だからこそ!!」に思考を変える
清掃業界 人手不足 「人がいないもんで仕事受けない」ではなく「人がいないからこそ!」
従業員の海外人材登用、国際部を設置 その他、求人広告『72歳うちではまだまだ若手です!』、ハラスメント対策室設置、三生管財新聞発行など実施し更なる成長をし続けています!
■好きな言葉
『悲観主義は気分によるものであり、楽観主義は意志によるものである』(フランスの哲学者アラン)
『なせば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり』(上杉鷹山)